大阪高等裁判所 昭和25年(う)2639号 判決 1951年4月10日
控訴人 被告人 崔頭
弁護人 小松久雄 岡野富士松
検察官 高橋雅男関与
主文
本件控訴を棄却する。
理由
弁護人小松久雄同岡野富士松共同の控訴趣意は本件記録中の同弁護人等連署の控訴趣意書記載のとおり「但し論旨第二の一の内(共同被告人の一人が他の被告人に付ての証人能力ありや否やは疑問であるが云々之を採用したのは違法である)との記載部分は撤回せられた」であるから茲にこれを引用する。
論旨第一の二について。
被告人の容貌、体格が事実認定の資料となる場合は視覚の作用による認識の対象として人の身体の状態そのものが証拠となるのであるから検証物たる一種の物的証拠であることは所論のとおりであつてかような証拠物の取調方法は刑事訴訟法第三〇六条の規定によりこれを訴訟関係人に示すこと即ち訴訟関係人が当該物の状態を直接認識し得る状態におくことであるところ現に公判廷に出頭した被告人の容貌体格の如きは訴訟関係人においていずれも当然認識している事柄であるからこれを証拠に採用する場合であつても特に認識せしめる為に示すことを要しないものと解すべきである。従つて論旨は理由がない。
論旨第一の一及び三について。
原判決がその判示第二事実の証拠として挙示する各証拠を精査綜合して考察するときは原審相被告人張斗春の供述中いわゆる山本正一なる者は所論に摘録するようにこれを否定する供述部分があるに拘らずなお被告人崔頭を指称するに外ならないこと従つて被告人が右張斗春等の協力を求めて原判示第二のように密輸入に係る生ゴムの陸揚場所を借受け以て原審相被告人朴龍権等の生ゴム密輸入行為を容易ならしめた事実が認められるのであつて原判決に所論の審理不尽乃至事実誤認の不法あることなく論旨はいずれも失当である。
論旨第二の二について。
しかし、原審第七回公判において原審相被告人等の検察官に対する供述調書中被告人に関する証言的部分の証拠調に関して弁護人から申立てられた異議については原審裁判所において即時これを却下する旨の裁判を為した上証拠調をしたことが原審第七回公判調書(記録二四六丁以下)の記載によつて明白であるから原審の訴訟手続上所論の法令違反なく論旨は理由がない。
論旨第二の三について。
凡そ共犯者の犯罪は相互に他人の行為と自己の行為との不可分的関係において一個の犯罪を形成するものであるから共犯者の当該犯罪に関する供述は互に自己の犯罪の内容として他人の行為に言及することは当然の事理に属しかような場合に共犯者甲の犯罪事実に関する供述から同乙に関するいわゆる証言的部分を識別して切離すことは殆ど不可能であるのを常とする。原審において弁護人の異議申立により検察官が証拠調の請求をした税関官吏の質問調書及び司法警察員作成の供述調書その他から被告人崔頭に関する証言的部分を撤回する旨述べたことは原審第七回公判調書により認められるところであるが右被告人崔頭に関する証言的部分とは各個の証拠書類の内具体的に果して何れの部分を指称するかは記録上判然しないばかりでなく原審において弁護人として右の異議を申立てた当審弁護人岡野富士松は異議によつて撤回せられた部分を他と識別して具体的に指示するを得ざる旨現に陳述するものであるから単に被告人に関する証言的部分をのみ抽象的に表現するも具体的に調書の如何なる部分であるかを特定し得ないような証拠についての異議申立が法律上許さるべきか否か頗る疑問であつて前示の共犯関係についての証拠に関する特性と相俟ち所論の証拠書類が検察官からその侭提出せられたからとて訴訟手続に関する法規に背反するものと為し難く論旨は現実を顧みずして空論を弄ぶものと認める外なく到底排斥を免れない。
論旨第二の一について。
原判決摘示第三の事実はこれが証拠として挙示するものを綜合して検討すれば優に認められるところであつて記録を仔細に取調べ弁護人援用の証拠を参酌して考えても原審が事実の認定を誤つたかとの疑念を抱かしめるに足る資料は見出せず、所論は弁護人独自の観点から原審が職権によつて行つた証拠判断を非議し事実誤認の不法ありと独断するものであつて本論旨も亦理由がない。
よつて刑事訴訟法第三九六条に則り主文のとおり判決する。
(裁判長判事 富田仲次郎 判事 棚木靱雄 判事 入江菊之助)
弁護人小松久雄同岡野富士松の控訴趣意
第一原審判決は其の事実第二項に於て
「被告人崔頭は前記第一記載の如く被告人朴龍権等が生ゴムの密輸入をするに際し其の情を知りながら其の陸揚場所の選定について被告人張斗春の協力を求め同被告人も亦其の情を知りながらこれを承諾し更にこれを被告人大西喜三治に謀り其の情を知つた同被告人の同意を得たので茲に同被告人等は共謀の上被告人張斗春同大西喜三治の両名に於て前記陸揚の前日である二月二十日前記木村製薬株式会社に赴き同会社監査役広島与助に交渉して同会社構内棧橋の借受の承諾を得以て前記第一記載の如く被告人朴龍権等の生ゴムの密輸入の行為を容易ならしめて之を幇助し」と事実認定をし其の証拠を摘示して居るが右は事実誤認であり且訴訟手続に法令の違反があると考へる。
一、被告人崔頭が生ゴムの陸揚場所の選定について被告人張斗春の協力を求めたとの点は原審判決摘示の全証拠を以てしても之を認めることは出来ない。恐らく原審は被告人張斗春の供述調書中に登場する山本正一なるものの容貌体格が被告人崔頭に似てゐるとしてこの山本正一は即ち被告人崔頭であると認定したものの様であるが被告人張斗春は同じ供述調書中でも亦原審公廷でも山本正一は被告人崔頭と同一人ではなく山本正一は他に実在してゐると述べてゐるし被告人張斗春が山本正一の容貌体格について供述してゐる程度に其の容貌体格が似てゐる人間は韓国人には非常に多いのである何等確実な特徴的な点についての一致がないのであるから仮に被告人崔頭が被告人張斗春のいふ山本正一に似てゐるところがあるにせよ山本正一と崔頭とが同一なりと断定するのは常識上妥当ではない。まして右山本正一の容貌体格が崔頭に全面的に似て居らないのであるから尚更である。被告人崔頭経営の白頭レコード株式会社が張斗春の親会社と姉妹会社であるとしてもその事が右の程度の確率の少い相似性を同一性認定に迄高める資料とはならないと考へる。其の他の判決摘示の証拠も同様である。従つて原審の右事実認定は相像的になされたものであり誤認である。
二、原審判決右事実認定の証拠として被告人崔頭の容貌体格を摘示しているが凡そ人の身体の形状が証拠資料となり得ることは勿論であるが此の場合にも之を証拠とするには適当な方法に依り証拠調がなされなければならないといふのは右は一つの物的証拠であるからである。然るに本件に於てはこれが為されていないに拘らず証拠として引用したのは違法である。(註)右適示は所謂状況証拠の記載であるとは考へられないからである。
三、従犯の成立には正犯との間に意思の連絡のあることを要しないとせられて居るが本件の様な場合即ち陸揚場所の選定借受行為が密輸入の幇助行為となるには事の性質上予め正犯等からの指示に依る場所を借受けるとか又従犯者が適当な場所を選定借受け之を正犯者に通知する等両者間の連絡があることを要し単に場所を一方的に借受けるだけでは陸揚(密輸入)を容易ならしめる行為を為したとは云へない。然るに本件では正犯とせられている朴龍権等を従犯者との間に右の如き連絡通報のあつたことを認定せず(之を認めるに足る証拠はない)直に右棧橋借受行為を以て直に正犯の行為を容易ならしめた行為と認定したのは審理不尽に因る誤認である。
第二、原審判決は其の事実第三項に於て
「被告人崔頭、同張斗春、同大西喜三治は共謀の上前記播摩ゴム株式会社運転手である被告人朝日衛、播摩産業株式会社運転手である被告人高見俊治、同会社人夫朱甲述等をして前記生ゴムを被告人張斗春の工場である播摩ゴム株式会社構内迄運搬せしめようと企て被告人朝日衛同高見俊治を指令してこれに参加させ云々右生ゴム二百三十五梱を前記棧橋から播摩ゴム株式会社構内迄運搬した旨認定し其の証拠を摘示しているが右は事実誤認であり且訴訟手続に法令の違背があると考える。
一、被告人崔頭が右生ゴム運搬に関与したとの認定は主として証人安俊根、安仁変、朱申述、宇野リエに対する裁判官の各訊問調書、被告人朝日衛、同高見俊治に対する証人としての裁判官の各尋問調書の各供述記載に依るものの如くであり(共同被告人の一人が他の被告人に付ての証人能力ありや否やは疑問であるがこれは消極に解すべきでこれを証人として取調べるには審理を分離して為さねばならぬと考へる。従つて被告人朝日衛、同高見俊治の証人としての尋問調書は之が捜査の段階に於て作成されたとしても証拠能力はないのにも拘らず之を採用したのは違法である。勿論証拠に依る心証の形成は裁判官の自由であるが証人安俊根、安仁変、朱甲述等は右裁判官の尋問調書の供述に付ては「自分等は警察で取調を受け恐かつたので警察官が斯々であつたであらうという誘導に依り虚偽の陳述をしたが裁判官に対しても警察に於けると同様の供述をせねば自分等の身に危険ありと考え虚偽の陳述をした。ゴム陸揚現場等では被告人崔頭を見掛けなかつた旨公廷では申述べて居る。同証人等は右証人訊問を受ける当時本件関税法違反被疑事件の被疑者として取調を受け逮捕されそうな状況にあつた(証人稲本寿志の供述)のであり非常に恐怖にかられてゐたことは想像に難くなく同証人等の如く常識のない何も事理の判らない人達にとつては恐怖の余右の様な無責任な供述に出たことも十分納得出来ると思う。証人宇野リエの尋問調書に対する同証人の供述態度についても公廷に於て右同様の趣旨を述べてゐる。
被告人朝日衛、高見俊治の証人尋問調書(其の証拠能力の点に付ては前述の如くであるが)に付ては公廷に於て夫々朝日衛は「警察では現場で見た人間はこの崔という者であらうと云はれ警察官が私を人囲して見せて呉れたが(距離は十間位)現場で見た人は其の崔によく似て居り警察官はこの人であらうと云はれたので自分も似ていると云ふたので裁判官の尋問に際つて生ゴム陸揚現場に於て崔頭を見たといふた、今から考へると現場で崔頭に似た人は見たが同一人か否か判然とせぬ、証人訊問の際の供述は間違つていた旨の供述をし高見俊治は「生ゴム陸揚現場に於て崔頭に似た人を見たが警察では係官から朝日衛は現場に居たのは崔頭であつたと供述したと云はれたので私も現場に崔頭が居つたと述べ次でどこへ行つても警察で述べたと同じことを云はないと早く釈放して貰へないと聞いてゐたので早く帰らせて貰い度いので裁判官に対しても警察に於けると同じ様に述べたが今考へて見ると現場で見た人は崔であつたか否か判然としたことは判らない旨供述してゐるが同人等二名は被疑者として警察で捕えられ勾禁され右尋問(裁判官)当時も勾留中であつたので陸揚現場で見た人間が崔頭に似て居たので右は崔頭であるといふ確信もなかつたが警察官の取調に迎合して右を崔頭なりとして供述し更に裁判官に対しても異なる供述をしては自分等の不為と考へ同様の供述をしたものである様である。
一方司法警察員に対する全一秀、金漢述の供述調書の記載に依れば本件犯行日である昭和二十四年二月二十一日午後一時頃以後同人等は神戸に於て被告人崔頭と会つてゐるのであり然らば陸揚に殆んど一日を要したことを認め得る。陸揚現場に被告人崔頭が居り得る筈はないのであるから前記各裁判官の証人尋問調書の供述記載は真実性なく却つて公判廷に於ける同人等の供述が信を措けるのである。
然らば被告人が右生ゴムの運搬に関与したとの認定は誤りである。
二、原審第六回公判に於て検察官が証拠調を請求した各被告人に対する税関官吏の質問調書、海上保安官の弁解録取書、供述調書、司法警察員の供述調書、検察官の供述調書の内同期日に証拠調が終了しなかつた書類に付ては弁護人は第七回公判に於て被告人崔頭としては先に為した同意を撤回し他の被告人の供述調書中其の供述記載が被告人崔頭に対する証言的内容を為す部分に付ては証拠とすることに同意せざる旨異議の申立を為したところ検察官は右の税務官吏の各質問調書及司法警察員の各供述調書の中五七、五九、六五、六七、七三、七八、七九、八〇、八一の各書類及び他の調書(税関官吏、司法警察員作成の)の被告人崔頭に対する証言的内容の部分は撤回したが検察官に対する崔頭以外の被告人の供述調書中の被告人崔頭に対する証言的都合は撤回してゐない。従つて裁判所としては当然該部分に対する異議申立に付ては何等かの裁判をすべきであるのに之を為さず該調書に付証拠調を為してゐるのである。これは法令の違反であり判決には右検察官に対する供述調書を証拠に採用してゐるのでこの違法は判決に影響すること明白である。
三、前述の如く供述調書の一部を証拠とすることを撤回した場合には其の部分は適当な方法に依つて裁判所に其の内容が判らない様にする措置が講ぜられなければならぬ筈である。然らざれば該部分は証拠には採用出来ないにしても之が裁判官の目に触れる場合心証形成の資料になり裁判官に予断偏見を抱かしめる虞があるからであるにも拘らず本件に於ては弁護人の異議申立に依り撤回した部分も其のまゝ其の内容が裁判所に判る様な状態の下に全部が提出されて居り、のみならず具体的にどの部分が前記証言的内容の部分で撤回したのかも判然とせぬ状態のまゝ裁判所に提出され受理されて居る。これは違法であり斯る違法は其の性質上当然判決に影響するものである。